
海外大学留学マニュアル 日本の高校→海外大学進学
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海外大学進学
〜「日本か海外か・留学の理由」〜
できるだけこのページで全てを書ききりたいと思い、文章も必然的に長くなってしまいました。
Pour out my feelings.
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日本か海外か・留学の理由
なぜ留学をするのか。
多くの留学者体験談を読んでいても気になることです。
そして、自分としても興味深いお題の1つです。真剣に、論理的に説明しようと思うと結構ムズかしかったりします。なぜなら直観的に感じて留学を決める人も多いのが留学ですからね。でもそういう人達に共通点って絶対あって、あてずっぽうな選択ではないんだなとしみじみ感じます。
とりあえず要点として
(背景)元々国際系や外国語、国際教養などに興味を持っていて、将来英語を使った仕事をしたいと思っていたし、世界レベルでやりたいと思っていた。ところが、日本の大学と言ったら、文学部の外国語はシェイクスピアを研究するとこだし、外国語学部は定義としてちょっと文学部と違うだけで、実用的に言語を使用するとこまでもいかないし、そんな中で唯一興味を持てたのが最近新設の国際教養学部だった。授業は英語で、そして法律や比較文化などの一般教養を身につける学部です。しかしこれも、学部では基本的なことまでで、深い所は大学院、という指針でやっています。ちなみに早稲田です。他にもICUのリベラルアーツとか秋田の公立の国際教養大学なんてのもありました。
(原因)
留学のパンフレットがエージェントから送られてきた。どっからウチの住所の情報勝手入手してるんだよ。ホント。そもそも個人情報の売買って違法ですよね?だから、教育関係の会社でもそのことをきちっと電話で「どこからウチの住所入手したんですか?」って問いただしてやりたいッス。
んで、英語が学べる。日本の大学と海外の大学で、同じ4年間という時間をかけて学んだ時、同じ(?)勉学の内容+アルファがついてくる。これは、英語ができるようになりたいという自分にとって、理に叶ったものであり、他の要素も勘案して、日本に残る理由・メリットはあるのかなぁって。
◎日本より進んだ分野を持つ海外。
◎英語を使って対等にやりとりする機会を得られる大学4年間。世界の学生と同じ場で競争する。
◎異文化と肌でふれあい、より国際的な感覚・経験が得られる。
このまま日本にずっといたら、日本の大学に4年もいたら、まず外国人と接する機会など0に等しく、より固く深い外国人・異文化への固定観念ができてしまうのは目に見えていた。内的・閉鎖的なニッポンですから。
また、机上の論理とかよりも、実際の経験・体験とか、感情の浮き沈みや変化、本当の自分の感性の中から得られた何かのほうが100倍も実になると思っていた。いくら頭で考えても何もならない。行動し実践することが大切だ。頭のなかではいくらでも考えられる。というのが自分の格言の中にありました。ならばいっそのこと、留学生を集め世界の縮図でもある海外に留学しようと考えたのです。
(結論)
◎日本の大学生は遊んでいるという印象が前々からあった。遊んで、バイトして、どっかちょろっと海外旅行に出かけるのに4年間潰したくない。大学生はヒマだから、今のうちに自由なことした方が良いよって周りの大人も教師も先輩も言うけど、自分は正直そうかなぁ?と感じていた。内的なニッポン。客観的に自分達の事を見れているかな??相対的に比較してしまえばその謎はあっという間に解けてしまいます。日本と海外の大学、充実しているのはどちらか。考えれば、日本の大学4年間は自由でやりたい事が好きにできる時であると同時に、競争力もなく空虚ですっからかんの物にもなってしまうんです。若く多感で物事の考え方が柔軟だからこそ、より苦労をして、もがいて、また異質も物事も吸収できるんです。がちがちに固まった先入観だとか固定観念をもった大人や、こき使われる会社人間になってからではもう手遅れになるかもしれません。若いからまだまだ柔軟。そう大人は子どもを見ているのです。だから、自分は結構考えも固まってきてちょっと保守的かななんて思っていても、まだまだ変われるんです。生まれ変われるんです。恐ろしいのは、もう取り返しのつかないほどに固まった考えです。いわゆる”大人”です。まだ変われるという無限の可能性が希望が、子どもの大きな宝なんじゃないかなと思います。だから飛び込むようにして、受け入れるつもりで何でも吸収しようとする姿勢で留学すれば、素晴らしい違った感性も自然に得られると思います。
そう言うのも、ある留学セミナーで海外の大学の関係者が来日していて、学校紹介する機会でいろいろ自分が質問をしていて言われた一言が大きいからです。
「君はまだ18くらいで若いから吸収も速い。いろんなことを学んで成長できる(君に可能性が含まれている)」って。これは留学生としてやってきて、色々な違ったことを体験する生活、異文化異言語の中でもなんとかやっていけるよ、対応できるよ、まだ若いから柔軟だよって感じに受け取れました。
自分はもう18で結構固まってきてるなぁって感じてるなかで、こんなこと言われて、あぁまだ自分ってそんな風に大人から見られてるんだぁと思いました。ちなみにその方(外国の人)は体も大きくちょっと太っちょな人で、世界の中でも体格が小柄な日本人の、そして18歳の自分はまだ少年なのかなぁって。体格しにてもやっぱり言葉を超える大きな包容力ってありますよね。 (笑)
自分を成長させるのはどちらかと考えた時、答え海外の大学に進学することである。
◎チャンスも一回しかない。その一回で乗り切る勝負強さが大事なんだという人もいるかもしれない。でも人生とか総合的に考えたら、学ぼうとする意志がある者としては、一回勝負なんて必要ないんじゃないかという考えもできるという答えに達しました。
(感想)
結構苦しい大学受験。良い大学に受かっちゃえばそれで終わり?あとは遊び放題?パラダイス?大学4年間を決めるのはそのほんの短い大学入試だけ?一回勝負か。
自分には、大学で遊ぶために勉強なんかできない。そんあ軽い動機でつらい勉強乗り越えられないよ。
というか遊ぶためっていう理由じゃ勉強もつらいかな。勉強自体はつらくないんだけどね。
僕の高校3年生として一年間
4月
(クラス替えはありませんでした)
留自分が留学を考え始めたのは高校3年生の春、ちょうど4月頃でした。ここまではいろんな留学経験者のケースから見てもなんら変わらないですね。
きっかけは、ある留学エージェントから雑誌のようなパンフレットが送られてきたのです。それは「米国大学機構」、NCNという会社でした。自分はそれまで普通に日本の大学に進学しようと考えていました。でもいずれは大学に入ってから1年間の交換留学はしたいとは思っていました。学部も外国学部とか国際教養という名のつくものに興味がありましたし、普通に英語系・国際系に興味をもった、将来は英語を使う職業に就きいたいと考えていた高校生でした。
でも、そのパンフレットを見てみると、海外大学正規留学などという文字があるのです。つまり4年間アメリカの大学で学び、卒業するというような事が書かれたいたのです。今まで留学はいつかしたいと考えていましたが、まさか日本人が海外の大学に正規に入学して4年間学び卒業できるとは思ってもみませんでした。制度上の問題などから、日本の高校生があっちの大学に入るまでには相当の壁とか困難がありそうだなとそのパンフレットをみて思いました。そうとはいえ同時に、4年間海外の大学で学んだらどんなに英語力、国際経験、そして世界中の友達が得られるか、そしてまた日本の大学にはない独特な学部や専門的な分野まで、世界の先端を行く世界レベルの大学に行くことで惜しみなく自分を高められるかもしれない、と直感的に思いました。
実際、これも多くの留学者の体験談にあるのと同じように、自分は日本の大学の学部にいまいちとても行きたいと思える学部がありませんでした。別に文学をやりたいわけでもないし、医学部とか理工系でもなく、外国語学部といったって、文学部の外国語科とたいして変わらないように思えるし(学部の概念上の捉え方から言っても)、自分はもっと幅広く総合的にいろんな事を学びたいと思ったのに、どれも局所的というか分野として絞られすぎているという感じがありました。その中での唯一が、最近流行りの、新設学部である国際教養学部でした。社会で生きる上で必要な教養を得て、視野を広げるのには良い学部です。法律も学べるし、いずれみんな銀行を利用したりするし、金融の知識も必要なので経済も学べるし、多角的に社会を見るための比較文化もやるし、国際社会で必須となる英語を実践的に学ぶというのがその学部の主な内容でした。でも海外の大学進学ということを知った今、90パーセント以上日本人しかいない単一民族による大学ではいくらがんばっても、その内容は保守的で閉鎖的で、世界を凝縮したような海外の大学での学生生活にはかなわない、と思うようようになりました。今まで微妙な自分の描いた理想のものとの違いというものが、相対的に世界の大学と比較することで、一目瞭然、はっきりとわかったのです。そうすると、いかに国際的な人間になれるかを考えると、日本の大学に行くということのメリットや意志がますますなくなっていったのです。
そうこうするうちに、4月上旬あたりに、すぐそのNCNの説明会に行きました。そこでは留学をするメリット、そしてこれからの社会の動向とそれによる留学をする意義、価値などが説明され、英語を学び、英語で学ぶ、さらに異文化を肌で感じ、より視野が広がり国際的にも柔軟で判断力のある人間になれるのかと思うと、入学試験で合格したら気がぬけて遊んでしまう、というか大学は自由で時間もたっぷりあり旅行もバイトもなんでもできると解釈されている!(学校の先生も応援してくれる先輩も、そして世の大人まで・・・)、悪気も彼らを責め立てる気持ちはありませんがこのような日本の大学のつくり、そして大学生に比べたら、卒業時の雲泥の差は目に見え、留学ほどいいものはないと思いました。
が、問題がありました。留学っていろいろな不安やわからないことがあると思います。言語の壁や大学システム上の違いなど、個人レベルでは相当難しい道であると思います。そのなかでも留学にかかる費用とは一般的にみても最も懸念される事柄の1つでしょうが、なんとそのNCNというエージェントに払わなければならない費用が一般的な感性をえぐられるほど高く、これは無理であるとはやばやあきらめてしまったのです。
しかし、留学への考えや意志は、その得られるメリットから考えれば衰えはしませんでした。そうして、このサイトがあるように自力でなんとか海外の大学に留学をするぞ、となったのです。
留学生の実態がどうであるかはわかりません。しかし、このように全部あるいは殆ど自力で留学していく人と、斡旋会社を利用して入学先の大学の紹介やその援助を受けて留学する人との割合を考えて見ると、右も左もわからず、ましてどの大学に行こうかということさえわからない状態であるなら、簡単で比較的楽な後者に流れてしまう人のほうが多いのではないかと個人的には考えます。
さて、自力で留学するといっても情報がないので図書館から借りてきた本を読んだりして知識を得て、大まかな事から、日本人が海外の大学に入学する際の細かい入学条件まで、だいたいのものがわかりました。とはいえ、そうして大学を選び、必要な書類を作って出願をして入学するまでの行程は、言語の違いによる苦労、そして何よりそれらが個人の力量に掛かっている点に難しさがありました。また、もちろん情報収集にインターネットは不可欠で、さまざまな留学体験者によるサイトやブログを見ました。そして、留学をするための英語力、学費などを考えて留学するためにいろいろな情報を探していたのですが、同時に、客観性を失わないように、ある会社の留学生によるパネルディスカッションにも参加してみました。パネルディスカッションは、会社側の思惑に流されることなく、純粋に留学の実情などを聞けるため、大変有意義で参考になります。留学体験者の高校時代や、その当時の学力や英語力、そしてどうしてその国、その地区のしの大学を選んだのかまで、詳しい生の情報を得るにはうってつけです。当時、大学を探している際に、自分の学力は海外ではどれほどなのか、とか大学のレベル・社会的評価など、いまいち本などからは得られない部分についてギモンを持っていました。もちろん自分は今までそれなりに勉強してきた訳で、その次のステップとして留学があるわけです。だから、どの大学でもいいいう訳ではありません。自分にあった、そしてそれそれ相応であり、それ以上の大学が自分を成長させるためには必要なのです。
8月
そして、夏休みの8月上旬、世間の高校3年の受験生はみんなどこかの大学のオープンキャンパスに行っている中で、自分は「アゴス」という留学関係の会社の説明会・パネルディスカッションに行きました。詳しく説明すると、その会社は主にTOEFLと呼ばれるテストの対策の授業をするものです。そこでは、自分のような高校生中心というよりは、社会人でありさらなるキャリアアップを目指して海外有名大学・大学院に留学しようとするビジネスパーソン向けの会社でもありました。パネルディスカッションでは、ハーバード大学に入学して卒業したある人と、さらに今年の9月からハーバード大学に留学する、日本の高校から直接ハーバード大学に合格した自分より1つ上の人の体験談を聞きました。
その会社のを作った人ももちろん留学経験があり、その会社をつくった理由が、自分達日本人の高校生がちょっと英語力があれば、舞台を世界にして活躍できるのに、日本の高校の英語などの教育制度からしてもったいないというように感じたのだそうです。確かの日本で生活する環境ではほとんど英語は使わないし、喋りもしません。ですが社長の言う通り、日本人は世界的にみても相当高校で勉強をしています。(07年12月5日付けの新聞では日本の理数分野での科学的学力は3年前よりさらに後退したとの記事が一面に載った。)もちろん平均の話ではなく、向学心のある上のクラスの高校生。しかし英語力にハンディキャップがあるため、スムーズにそれだけの学力を世界標準の海外の大学に合わせることができないのです。
そこに憂慮し、もし教育システム上、高校1年から海外の大学で勉強するための英語力を養う訓練ができればもっと日本人は世界で活躍できるし自信が持てると言っていました。確かにそうです。ある書籍では、高校までは日本の学校で勉強し大学は海外で学ぶのが最も勉強量が多くなると書かれています。また、ある本では、海外の大学卒業したばかりの学生は、日本の大学を卒業して、会社で実務経験を3,4年した社会人と同じくらいの能力を持つと。またある本では、確かに日本の高校での勉強は質も量も相当高いが、日本の大学では遊んで勉強をあまりしないので、大学でこそ一杯勉強するという海外では、その1年分は高校3年分であると。つまり日本の高校で一生懸命勉強していても、大学ではすっからかんの状態であり、海外の大学で勉強する者にすぐ追い抜かれてしまうのです。それだけ、海外の大学での1年間は非常に密度が高いのです。
そしてパネルディスカッションでは、どうやら入学の条件として世界のトップスクールにもなると、TOEFLのスコアだけでは毛頭入れず、さらにエッセイ、SATというアメリカのテスト、第三者からの推薦状何通など、学力の高さはいうまでもなく、総合的な優れた人間をとるようなのです。暗記一辺倒で人格的に欠如した人間でも点数さえ取れば東大に入れるのとはわけが違います。それが世界で5本指にはいる大学のレベル、質なのです。
ところでエッセイなどが話で出てきて、高校在学中のクラブ活動や、ボランティア、課外活動など勉強以外で自分を評価できるものをアピールするというのですが、自分を考えてみると何があるのでしょうか。勉強はといっても、模試で全国2ケタの順位を取ったわけでもないし、まぁぎりぎり3ケタを取ったくらいが唯一あるくらいで、全くそれで世界で通用する、いや日本でも通用するとはとても言えないものであり、まして自分は文系で数学は駿台模試で平均ほどしか取れず、そうかといって、勉強以外の課外活動で何かボランティアや委員会などをやったわけでもない。一応運動部に所属していて、当初の念願どおりレギュラーを獲得し、試合に出て3試合で3本ヒットを打ったし堅実な(?)守備もしたしダイビングキャッチもし、うちの部も県大会で優勝し関東大会まで進んだ。クラス内で38人中5人くらいしか運動部がいないちょと変わった境遇の中で、自分としては運動も勉強もよくやったつもりであるが、これを基準にして考えてはいけない。世界は広い。
そうすると、一体自分は高校3年間で何をやったのだろうかというギモンにたどり着く。もちろんこの場合はハーバード大学とかMITなどの世界トップの大学に入学する際に、学力はそれなりにあるのは当然として、他に何が自分の成し遂げたものとしてあるの?と聞いてくるような大学のケースです。人間は常に上を見る必要があります。その場で満足をしては成長はありません。だとするならば、自分の人間としての価値は、そのような大学に行こうとしている人たちと比べたらいかほどなのかと考えると、限りなく「無」に近いと思いました。すっからかんのように感じたのです。日本の大学に行くには、毎日生徒は黙々と無言で板書を写す受身型の授業に耐え、高校2年生くらいから受験に備えて予備校に通い、できれば高校2年で運動部は引退し、夏期講習に10万、20万の大金をはたいて勉強をしていれば良いのです。同じ大学なのに、一方では人格も学力も優れ、日本ではみんなほとんど勉強しかしていない。人間的に中身の濃いのはどっちでしょうか。世の中では、自立し、主体的に行動することが必要です。責任ある行動と社会経験が必要です。こうして比較をすると、難関大学に行く日本の学生は勉強しかしてません。というより構造上、勉強しか審査・判定しないのです。もちろん運動も勉強も頑張っている人もいます。でも社会がそういう人間を評価しようとしてないのです。世界の大学に比べたらずっと。
そして自分はある答えにたどり着きました。今まで日本の難関大学に合格するために勉強を一生懸命やってきました。これは何ら変わりはないでしょう。目標ですから。一応部活もやっていました。委員会などは中学校の頃までは積極的にやっていましたが高校では地域的なまとまりもないしみんなてんでばらばらなので無関心・無干渉でした。そして、そんな自分は社会的に見て何の役にたっているのか。もちろん勉強を正当化する道はいくらでもあるが、勉強以外のことも人並み以上にこなす学生と比べれば言い逃れはできません。自分を評価するエッセイというものがあるならば、そしてそれを書く必要がある時、建前上はそれなりに書けるだろうが、その経験の数、母体数、そして達成した事柄などから評価すると、自分はまだまだであると。まだ成長が足りない、経験が少ない、だから豊かな経験、柔軟な発想、異文化体験、考えの違いなどを学び、世界レベルでいろいろな物事をやってみたいと。留学が一番自分に必要であると考えたのです。というより、留学が今の自分にできるベストの選択であると思うのです。
こうして留学するために英語を勉強している今、英語とは単なるツールであり、英語で何かを学ぶものだと思う。しかし、異国のさまざまな人との出会いによってまた英語はツール以上のものであると認識するのであるのでしょう。
そういうことも全て留学をして学んで行きたいと考えるのです。(完)
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(2008年1月)
